WILD SIDE CLUB - 映画について -

新作・旧作を問わず映画について書いています。長い映画大好き。まれにアートや演劇についても。

ジャック・ロジエ『アデュー・フィリピーヌ』 ー 強制終了するヴァカンス

ジャック・ロジエ特集上映の二本目、『アデュー・フィリピーヌ』を観て来ました。

私が観た順番では二本目ですが、この作品が長編第一作だそうです。

 

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その前に観た『メーヌ・オセアン』についてはこちらに書きました。

 

www.ciel-wsc.com

 (以下、内容に触れる部分があります)

 

それぞれのヴァカンス

 

本作品が撮影されたのは1960年。冒頭に「アルジェリア戦争の6年目」とさりげなく出てきます。これが最初に出てくる意味は大きいですね。

(本作品を観るときは遅れなかったのですが、先に観た『メーヌ・オセアン』と、後に観た『オルエットのほうへ』には遅刻しちゃいました。大事なこと見逃したかもなあ…)

 

これは一人の男の子ミシェルと二人の女の子リリアーヌとジュリエットのヴァカンスの物語ですが、男の子と女の子、それぞれにとってその意味が違っています。

なぜなら男の子ミシェルにとってヴァカンスの終わりは兵役につくことを意味するから。早い段階でそのことが知らされます。

 

前半がヴァカンス前、後半がヴァカンス中となっていますが、私、例によってまた少し寝ちゃいまして… ヴァカンスへ行く前の部分で。その間、ミシェルとテレビ局の同僚がリリアーヌたちに紹介してもらった仕事をする…というところ。あとでヴァカンスでコルシカ島へ行ってから、その時の賃金が未払いだという話が出て来たので、ああそうだったの、と思った次第です。

ま、それはいいとして(よくないかな)、とにかく三人でコルシカ島でヴァカンスを過ごすわけですね。

それがなんか三人だけでそこにいるのではなく、わーっと人がいるんですが、あのノリ、Club Medじゃないですか? 一般的な日本人が持つフランス人のイメージからは考えにくい、でもフランス発の、団体旅行というかキャンプというかコロニーというか… あら、そんなところに行くのね、と思いましたが、それが後に効いてきます。

ある日三人はその喧噪から離れて山に入ります。そこで三人の男女の三角関係がさらに深まるわけです。女の子たちは躍起になっていますが、ミシェルは成り行きまかせ。「女の子二人を手玉に取って浮かれる」でもなく、一体何を考えているのかわからない。

それはそうでしょう。だって彼は戦争に行くんですから。

何月何日と、はっきりとはわからない。でも極く近い将来(最初に話題にのぼった時点でたしか”2か月半後”と言っていました)およびがかかることになっている。Club Medの馬鹿騒ぎも、女の子たちの恋の鞘当も、ミシェルにとってはどうでもいいことでしょう。

一方、リリアーヌとジュリエットはミシェルのことで頭がいっぱい。この構図は、戦争がなくても実際によくある光景ですね。

終盤で、"Je t'aime, moi!(あなたが好きなのよ!)"と言うリリアーヌに向かってミシェルが言います。

「好き、好きって! それよりも大事なことがあるだろ!」

これは、 ずっとノンシャランとやってきた(ように見える)ミシェルの「初めての言葉」といっていいと思います。そしてそれに続く静寂。これには唸りました。

 

青春の輝きとコルシカ島の光

 

一つのサヤに二つ入っているアーモンド(とかその他何でも双子の実)を分け合って食べたとき、翌朝、先に "Bonjour Philippine!" と言ったほうが勝ち、という子どもの遊びがあるそうで、タイトルの『アデュー・フィリピーヌ』はそこから来ていています。リリアーヌとジュリエットもこれをやって二人で大笑いする場面があります。

他愛ない遊びでケタケタ笑って、もうそれだけでなんかキラキラしているわけですが、実際に光がキラキラして素敵な場面がありました。今回の特集上映のポスターにもなっているこの場面もそのひとつ。

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これ以外にも、そのまま写真にしたいようなシーンが多く、特に山へ入ってからは、フレーミングがいいなあと思う場面がたくさんありました。

(ちょっとズレますが、本作でも『メーヌ・オセアン』でも見られた、“二人の人物が対面していて、観客に背を向けている人物の顔を鏡に映して見せる”場面も印象的でした。『メーヌ・オセアン』では終盤の列車での場面、本作ではCMのラッシュみたいなのを見る前の場面です)

 

最後に、ついに招集がかかって島を去るミシェルを乗せた船に向かって、ジュリエットとリリアーヌは大きく手を振ります。走って高台へ登って。この辺りの音楽の使い方が絶妙です。

ミシェルのヴァカンスはここで終わり。ジュリエットとリリアーヌのヴァカンスもやがて終わる。恋の行方も青春の行方もわかりません。

 

ジャック・ロジエは、誰の内面も代弁しません(って合計三本を各一回ずつ観ただけなのに言い切っちゃっていいんでしょうか。しかも遅れるし途中寝るし)。主な登場人物と等距離を保ち、あくまでも外側からまなざしを向けます。だからどこかドキュメンタリータッチで、映画の中で起こっていることが、いきあたりばったりに見える。そのあたりは『オルエットの方へ』や『メーヌ・オセアン』にも引き継がれています。実際ドキュメンタリーを撮っていた監督なので、うなづけることではありますね。

今回の特別上映ではドキュメンタリーは上映されないので、残念です。観たい…

 

こういう素敵な反戦映画もあるんだな。