WILD SIDE CLUB - 映画について -

新作・旧作を問わず映画について書いています。長い映画大好き。まれにアートや演劇についても。

青年団国際演劇交流プロジェクト2016『愛のおわり』

観たいと思いつつも予定が立たず予約していなかった『愛のおわり』、本日最終公演ということで駆けつけ、当日滑り込みで観ることができました。

www.seinendan.org

フランスの劇作家パスカル・ランベール氏の作品で、ランベール氏と平田オリザ氏の共同演出での上演です。

翻訳は平野暁人氏、日本語監修は平田オリザ氏。

予備知識なしで観て来ました。

(以下、内容に触れる部分がありますのでご注意ください)

 

ノローグの閉塞感

 

たぶん、開始から1分も経っていなかったと思います。

うわーきついなこれ、堪えられるかな…と。たぶん苦手なタイプの演劇だ、どうしよう、と思いました。

まず、閉所がやや苦手なんですが、当日キャンセル待ちで入場したため、少々厳しい席になってしまい、すでに閉塞感があったせいもあると思います。

舞台の上には女がひとり、男がひとり。男が「始めよう」と言って「愛のおわり」を始める。二人が終わっているということに関してバーっとまくし立てていくわけですが、女は一向に言葉を返さない。これがキツイ。

男の台詞の内容じゃないんです。それはどうでもいい(私にとっては)。女が言葉を返さない、そのことがものすごくキツくて、1分もしないうちに苦しくなって、いやもう、いつまでこの調子なのかな堪えられるかな、帰りたくても簡単に出られない席だぞ、と… 女性の表情が見えない席だったので、キツさもひとしおです。

 

だいたい「愛のおわり」って時にこんなに喋るかな、特に日本の男にはこういう人、まずいないよね、まあフランス人ならいそうだけど、あーほんと、いつまで続くのこれ、もうそろそろ女が言葉を返してもいいんじゃないの…

 

などと思いつつ観ているうちにやっと慣れてきて、ひょっとしたらこの演劇はモノローグに終始するのかもしれないなあ、と思ったのですが、それでも違う展開を期待してはいました。

 

「もしもこれを観ている観客がいるとしたら言ってやれ、『帰るなら今だぞ』と。長いぞー」というようなセリフ(正確には覚えていません)を男が言ったときには、ホントに帰りたいと思いました、ええ。でも簡単には出られない席です。

いや、でも実はこのセリフでだいぶ場が緩んだこともあって(客席には笑いが起こりました)、諦めて最後まで観る気になりました。

 

…ひどい言いようですよね。

でも、この反応は作者/演出者の思うつぼだったんじゃないでしょうか。たぶん私はすごくいい観客だったと思います。

 

ノローグ × モノローグ

 

時間的にどれくらい経ったのか確認していませんが、中盤にコーラス隊が出て来て、その間に男女の位置が入れ替わり、コーラス隊の退場とともに第2ラウンドが始まりました。はい、今度は女のモノローグです。

 

つまりこの作品は、「モノローグ×モノローグの対話」だったんですね。

 

女のモノローグパートは、構造がわかったせいか、男のモノローグへの応酬という性格だからか、あるいは私自身が女だからか、前半のようなキツさはなく、普通の饒舌な演劇(クラシックな)みたいな感じでした。ちょっと身体が痛くなりましたけど。パイプイスに2時間以上でしたから…

 

男のほうのありえそうもないセリフ(途中あんまり聞いてませんでしたけれども)と違って、女のほうは、女が思いそうなことを言ってはいました。しかしね、やっぱり疑問でしたね。

 

これが「愛のおわ」った男女の対話だろうか、と。

 

基本的に、愛が終わった男女は対話しません。もう対話できないから終わってるんです。相手に対して言うことなんかありません。相手の話もききたくないし、きいても痛くも痒くもないんです。

 

女は「あの時のあなた」や「あの時の会話」を「取っておく」ことなんてしません(男はそうして欲しいんでしょうけど)。そう思ううちはまだ終わってないんです。

 

仮にこれは「愛のおわ」る過程を見せているものだとしても、やっぱり納得はいかないなあ… まだまだ終わらないですよ、これ。だから私、「やっぱり終わらない」っていうオチが来るかと一瞬思ったくらいです。

 

Clôture de l'amour / Fin de l'amour

 

当日知ったのですが、本作品のオリジナルタイトルは『Clôture de l'amour』だそうです。「愛の幕切れ」といったところでしょうか。『Fin de l'amour』(愛の終わり)ではないんですね。このあたりに何かあるのかなあ、と思いますが… あと「終わり」でなく「おわり」にしていることも。

つまり、これは観念劇みたいなものであって、ここにリアリティを求めてもあまり意味がないのでしょう。

男女の間に起こることは世界共通かもしれない。でも「愛」の中身や「愛」の持つ意味は、文化のコンテクストによってだいぶ違ってくるし、だからその終わり方も当然違うだろうと思います。

(いや、わからない。終わり方はそう変わらない気もする…)

 

演劇を観たとき、いや、演劇に限らず何かを観たとき、「いい」とか「よくない」とかをどの部分で評価するかということにいつも悩みます。

扱っている題材がいい、扱い方がいい、あるいは逆に扱い方がよくないことがいい、などなど… 考えているうちにぐちゃぐちゃになってきます(どの分野についても評論ってあまり読んだことがないので、読んだらなにかわかってくるかしらねえ…)

もろもろ飛び越えて、いいとしか言えないものっていうのももちろんありますが、そういうのはそうそうないですよね。

 

とにかく、一時間しゃべり続ける(セリフを言い続ける)俳優の体力はすごいし、一時間聞き続ける俳優の体力もすごい。そしてそれを2時間20分見続ける、私たち観客だって結構すごいんじゃないかしら。