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『淵に立つ』ー 何がいけなかったのか

あけましておめでとうございます。

2017年がみなさまにとって(私にとっても)良い年になりますように。

 

昨日は深田晃司監督の『淵に立つ』を見て来ました。今年最初の一本です。

fuchi-movie.com

観たいと思いつつも、相当怖いかもしれないなあと思っていて観に行きそびれていました。

(以下、内容にかなり触れていますのでご注意ください)

 

淵の先にあるもの

 

すでに関係の冷えてしまっている夫婦(鈴岡利雄・章江)とその娘(蛍)、三人家族の元へ一人の男(八坂)がやってくる。その男が浅野忠信さんだし妙に穏やかだし、で、怖い展開になること必至です。

章江の心の隙間に八坂という風が吹き込んで、鈴岡家を絶望の淵へと追いやる…

八坂が蛍に何をしたのかあるいは何もしなかったのか、それは最後までわからないのだけれども、そこから八年の時が流れ、重度の障害の残った蛍と、その介助/介護にあたる章江、興信所に八坂の居所を探させ続ける利雄のもとへ、今度は年若い青年(孝司)がやってくる…

 

八年後にやってきた青年・孝司が、八坂の子であったというところは、ちょっと都合よ過ぎないか? とは思いました。ホラーやミステリーでよくあるような設定です。しかし、この設定がなかったら次の展開へ繋げることは難しくなるでしょう。また、より複雑に絡み合った状況をつくりだすのにも必要な仕掛けだったかも知れません。

でも、と、また思います。

八坂の子じゃなくてもなんとかなったんじゃないかなあ… ただし持って行くのに時間はかかると思うけど。二人きりの部屋で孝司が蛍に近づいたシーンを見たら、充分可能な気がしました。八坂の子じゃない設定で最後まで持って行かれたら、もっと怖いものになったんじゃないかしら…(簡単に言うなよ、でしょうけれども)。

怖そうで観るのを躊躇していたと冒頭に書きましたが、想像していたほどではなかったと思うのは、この設定の影響もあるでしょう。

 

章江が蛍を道連れに、淵ならぬ橋から飛び降りたあとの水中シーンで、蛍が水上に向かって泳ぐ場面があるのですが、これが私にはよく分かりませんでした。この場面の意図するところはなんだったのでしょうか。こうであって欲しいという利雄の願い? 水面下での利雄の幻覚?

ともあれ、利雄は章江を川原にあげます。そしてそこには蛍と孝司が横たわっています。章江はどうやら助かった。利雄は絶えず叫びながら心臓マッサージをします。まずは孝司に。それから蛍に。暗転。叫ぶ声。荒い呼吸。マッサージの音。声。

 

因果応報?

 

上映のあと、深田監督と章江を演じた筒井真理子さんのトークショーがありました。

筒井さんは、八年の経過を表すために三週間で13kg増量するという、いわゆるデニーロアプローチをされたそうです。もともとは八年後のシーンの時に「八年後」というテロップを入れていたそうですが、入れなくても時間が経過したことはわかる、ということで削除したとのこと。介助のシーンで腰回りの肌が見える場面があって、その肉付きが印象的でしたが、なるほどと思いました。その演出は成功していたように思います。

 

質疑応答のとき、四人が川原に上がったラストシーンで、利雄はなぜ蛍でなく先に孝司に心臓マッサージをしたのか、という質問が出ました。順番を決めないままリハーサルをしたところ、利雄を演じた古館さんがそうして、それをそのまま採用したそうです。

これについては、なぜそうなったかというより、やはり蛍で暗転、というのが、終わり方として成功している気がしました。

監督によると、ラストシーンに希望を感じたという人と絶望を感じたという人と、両方いるそうです。私はどうだろう… よくわからないのですが、すくなくとも、 観終わった時に「うわ、これは救われないな…」とは思いませんでした。なぜだろう。今すぐにはわかりません。おそらく利雄の行動のためかと思います。

 

また、利雄が「蛍のことは自分たちの罪に対する罰じゃないかと思う」というようなことを言う場面に関して、因果応報についての質問も出ました。監督ご自身は 因果応報を信じていないけれども、「人というのはそこに因果応報を見てしまうものだ」と思っているので、因果応報自体を描いたつもりはないが、因果応報を見てしまう人たちに向けて作ったという面もある(うろ覚えです…)というようなことをおっしゃっていました。

確かに、これは因果応報の話ではないと思います。複雑に見えるけれど案外シンプルな話なんじゃないでしょうか。

 

愛のない夫婦は淵に立っているのと同じで、少しでも風が吹けばそれで終わり。

(そして、夫婦が愛し合い続けるって、簡単なことじゃありませんね)

 

余談ですけれど、「なぜ絵を描くの?」という問いに対する孝司の答えは、そのまま深田監督の「映画を撮る理由」だったようです。見るために撮っている。これはあらゆる芸術に言えることでしょう。

 

 

 

 

 

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