『ブラインド・マッサージ』ー 剥き出しの孤独
ロウ・イエ監督の『ブラインド・マッサージ』を観て来ました。
監督:ロウ・イエ
原作:ビー・フェイユィ
製作年:2014年
製作国:中国・フランス合作
この監督の作品を観るのは三作目です。
最初に観たのは『二重生活』で、観た直後は、おもしろいミステリーというかメロドラマだな、という程度の感想だったのですが、あとからなんだかじわじわ来て、他の作品も観てみたいと思っていました。
その後『二人の人魚』をUPLINK Cloudで観て、なんとなくこの監督の作品についてわかり始めた気がしていましたが、本作品を観て、その思いが強まりました。
(以下、内容に触れているところがあります)
視覚効果と音響効果
公式サイトやフライヤーの写真を見て、本音でぶつかり合う"ちょっと生々しい”群像劇なのかな、くらいに思っていたのですが、冒頭でいきなりショッキングな流血場面があり、驚きやすい私はだいぶ驚いて、これは心して観なければ、と緊張しました。
冒頭、中盤、終盤と配置された流血場面は、作品を観終わった今、その血の色だけがカラーだったかのような錯覚を起こすほど、強烈でした。
思えば『二重生活』にも結構激しい場面があったなあ… 激しいだけでなく、どうやって撮ったのだろうと技術的な興味も湧くシーンだったな、あれは。
さて、それは置いておいて、本作での強烈な流血シーンはどういう役割なのか、ただ私たち観客をひりひりさせるためか… そのあたりはもう少し考えないとわかりません。
わからない、といえば時々わからないところがあって、今回は私、少しも寝てないんですけれども、あれ? 何か見落としたかな? と思う場面がありました。(「難しい映画」ということではないです)
技術的な興味は、この作品でも、というかこの作品ではさらに湧きました。視覚障害者の感覚を、見えている私たちに体感させるような視覚効果とそれを補強する音響効果。殊に音響のほうは、そうか、なるほど、と思いました。
どんなふうであれ視覚効果であれば、結局は私たち観客には見えてしまっています。だから聴覚を狭めて行くことによって、「感覚の不自由さ」あるいは「閉塞感」というかたちで、見えてしまっている私たちに「見えなさ」を体感させる。こういう方法もあるのだな、と。実際海の底にいるような息苦しさを感じました。
あとこれは音響効果という意味ではないですが、楽器の上手な人(役名忘れてしまいました)の演奏がとてもよかった。
惹かれ合う孤独
同僚に連れられて風俗店にやって来たシャオマーはそこで働くマンに惹かれ、常連になって行く。「本気なのー? シャオマーは貧乏だよー?」と同僚にからかわれながらも、シャオマーに惹かれて行くマン。
最終的にめでたしめでたし、ということになるのかどうなのか…
ロウ・イエ監督は、少なくともこれまで観た三作品で、一環して「孤独」を描いています。いや、愛と孤独、なのかな…
「愛」については、愛というのはあるのだろうか、あるとしたらどんなものなのか、という探求の過程を見せられているような気がします。そして監督自身も答えを見つけられていないのではないかと思うのです。
それに対して、「孤独」は作品の核になっていて揺るぎなく、それによって作品全体を暗いトーンで覆っています。
ラストの髪を洗うマンの表情に、このどちらもが集約されている気がしました。
話はズレますが、この二人をあとから思い出すと、何故かこの曲が脳内に流れてきます。
(だから実際に流れていた曲が思い出せません)
Ed Sheeran - Shape Of You [Official Lyric Video]
たまたま最近気に入って聴いている曲なんですが、こういう感覚的な愛っていうのもあるんじゃないか、って思ったりするんですよね。
あ、そうそう、三作品を通じて、と言えば、川と橋そして雨が象徴的に登場しますね。他の作品ではどうなのでしょうか。
ロウ・イエ監督の作品、いいのですが寂しくなっちゃうんだな… わりと深いところで。
(観に行くなら元気な時がおすすめです)