WILD SIDE CLUB - 映画について -

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『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』ー 普段着のフラメンコ

 『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』を観て来ました。

 

監督:チュス・グティエレス

製作年:2014年

製作国:スペイン

映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公式サイト


『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』予告編

 

(以下内容に触れるかもしれません)

 

 

ロマと音楽と舞踊

 

ロマというとすぐに思い浮かぶのはこの映画。


映画「ガッジョ・ディーロ」日本版劇場予告

 

トニー・ガトリフ監督の『ガッジョ・ディーロ』。

フランスの青年が「本物のロマの音楽」を探しにルーマニア(とおぼしきところ)へ行く話です。自らもロマである監督が、ロマの人々の生活をリアルに描いていて、好きな映画です。ここでも、ロマの人たちにとって音楽は非常に重要なものとして描かれていました。

 

『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』は、スペインのアンダルシア地方グラナダ県サクロモンテ地区に居を据えた、ロマの人々の音楽「フラメンコ」を巡る物語です。

詳しくは知らないのですが、ロマの人たちの道のりは北インドを出発して中東、東欧を通ってスペインに至ったらしく、だからフラメンコは「ある何かが行き着いた先」みたいな印象が私にはあります。

その何かとは、「音楽的な何か」であり、「舞踊的な何か」ですね。

 

「ロマの人たちはスペインで迫害されて洞窟へ入った」みたいな話もどこかで聞いた気がします。そう聞いたことがあるからなおさら、そこが行き着いた先であり、洞窟という象徴的な場所でさらに凝縮された、という印象があります。実際はどうなのか、その辺はわかりません。

本作品はサクロモンテ発祥の音楽と舞踊に焦点をあてていて、差別や迫害についてはほとんど触れていません。ただ、サクロモンテにはロマも非ロマも住んでいた、うまくいっていた、と語られる場面はありました。

その真偽はどうあれ、本作品を観る限りにおいては、自分の持っていた哀切(差別からくる悲哀なども含めた)の音楽と舞踊、というフラメンコへのイメージは少し歪んでいたかもしれないと思いました。

本作品で歌われる歌は、メロディは哀切であっても、思っていた以上に「なんでもないこと」であり、『ガッジョ・ディーロ』に出て来るロマの人々を連想させるような率直なものです。

(言葉がわからなければああいうメロディーで「薬局の前に住んでいた〜」なんて歌っているとは思わないなあ… 私は普段から歌の歌詞はどうでもよくて、こういうの聴くと、ほらね、どうでもいいでしょ?って思う)

 

 

生きる糧

 

本作品の中で、出演者が「フラメンコは生きる糧だった」と言っています。これは二つの意味を含んでいます。

彼らは子どもの頃から舞台に立ち、その報酬で食べていました。全員がそうではないかもしれませんが「踊ってからじゃなきゃ食べられないのよ(家に食べ物がなくて)」と言っている人がいました。そういう意味で実際に「糧」だったし、また、踊らずにはいられないという意味においても「糧」だった。

多くの伝統的な芸能がそうであるように、フラメンコもまた「先生から教えてもらう」ようなものではなく、みな先人の踊るところ演奏するところを見て自ら学んだといいます。だからそれらが血肉になっているんですね。彼らにとってフラメンコ自体が「糧」でもあったのでしょう。

 

彼らの歌も踊りも、勿体ぶったところがなく、観ていて飽きません。それぞれがとても自由です。それは彼らが、自ら学び、フラメンコを糧にしつつ、フラメンコで糧を得て来たからなのかもしれません。

 

この流れからうまくつながらないのですが、公式サイトのコメントページに載っている本橋成一さんの言葉が素晴らしいです。

コメント - 映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公式サイト

この方がどういう方か知らなかったのですが、写真家で映画監督、さらに「ポレポレ東中野」のオーナーさんなんですね。

 

あ、そうそう、ロマの人たちの移動の道のりと音楽の変遷については、この作品もありました。

トニー・ガトリフ監督『ラッチョ・ドローム

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