ジャック・ロジエ『メーヌ・オセアン』 ー なんてことのない話の特別な時間
ヌーヴェル・ヴァーグの伝説の監督、ジャック・ロジエの特集『ジャック・ロジエのヴァカンス』が、渋谷のイメージフォーラムで組まれています。
寡作な監督の長編3本が上映されます。
今回はそのうちの1本、『メーヌ・オセアン』を観て来ました。
映画の時間、現実の時間
ヌーヴェル・ヴァーグの伝説の監督、なんて知った風なこと書いてますが、私は全然知らなくて、今回初見でした。
映画は大好きなんですが、映画史には疎くて、ヌーヴェル・ヴァーグといえばゴダール、シャブロル、リヴェットをかろうじて知っているくらいです。作品もそんなに観ていません。
なので、ヌーヴェル・ヴァーグだから、という理由ではなく、まあ、なんとなく惹かれて観に行ってきました。強いて言えばポスターがいいし、それに一本が長いから。
長い映画が大好きなんです。
でも長ければいいというわけではなく、観ている間に「長いなー(疲れた)」と思わせないような映画、その長さに浸っていられてよかった、と思わせるような映画が好き。
結論から言うと、今回観た『メーヌ・オセアン』は、そう思わせてくれる映画でした。
長い映画の何がいいか、まだちゃんと説明できるほどわかっていません。
ひとつ言えることは、やはり時間の使い方。
映画は時間芸術ですから、時間が大きな問題になります。映画の中の時間と、鑑賞している人の鑑賞しているリアルな時間。その二つの時間のかかわり合いが、映画のテイストを決めるような気がします。
長い映画は、あたりまえですが時間をゆったり使える部分が多いです。その分、映画の中の時間が鑑賞者の現実の時間と同じように流れる場面も多くなって来ます。そのことで、鑑賞者である私も映画の中の時間を生きているかのように、無意識のうちに感じてきます。それは「映画に引き込まれる」と言ってもいいのかもしれませんが、必ずしも映画の中の物語を生きているように感じるということではなく(そういう場合もあるでしょうが)、映画と同じ時間を生きているように感じるのです。
(このあたり、もっとうまく説明できるようになりたいので、もう少し勉強します)
そういう意味では、この作品は冒頭からすごいです。上に貼ったリンク先の説明にもある電車内での出来事ですが、短い映画ではありえないくらいたっぷり時間を使っています。ここでもう、ああこれは面白い作品に違いない、と確信しました。
普通の人々の、コミカルでほろ苦い休暇
(以下少し内容に触れています)
「ロジエの作品の中でも最もコミカルな1本」と言われているように、そういう意味でも面白く、館内にも時々笑いが起こっていました。
興味深いのとコミカルなのと、両方が見事に現れていたのが、裁判のシーンでした。
電車の中でブラジル人ダンサーを助けたフランス人弁護士が、暴力沙汰で召還された漁師の弁護をする場面です。
暴力事件と何の関係もない話を弁護士が延々とするのですが、簡単に言うと「高尚なフランス語もあれば下世話なフランス語もある、でもどれもフランス語だ」という内容。なんでそんな話を?と思うところですが、じつはこの漁師が、汚い言葉も使いますけれども、ひどくなまっているんですね。ホントにフランス語だろうか?っていうくらいに。で、ぽかーんと、弁護士が延々しゃべるのを見ている。弁護士は弁護しているのだろうかといえば全然弁護にはなっていない…
こうして説明すると全然おもしろくないですが、私はここで笑いました。
その後は、登場人物たちの思いつきのようなものでストーリーが流れて行きます。
ブラジル人ダンサーが踊る場面が一つの山となり、いろいろあるようなないような、で休暇は終わって、それぞれ自分の場所へ帰って行く。
ラストがまた、いいです。冒頭と同じくらい、いい。
ジャック・ロジエは、私たち鑑賞者がいろいろ思いめぐらせたり考えたりする時間を、ちゃんと最後に取ってくれました。
映像としてもいいです。
長い映画が好きな人、映画を観て思いめぐらせたりするのが好きな人にはお勧めします。
私は、あと2本も観ます。
(あー、映画のことをもっとうまく書けるようになりたい)
ちょっと立ち止まって考えたい人に『シーモアさんと、大人のための人生入門』
うまく時間がとれたので、久しぶりに映画を観て来ました。
眠れるくらい穏やかな時間
50歳でコンサート・ピアニストをやめ、教えることに専念してきた84歳のピアノ教師、シーモアさんの物語。
ドキュメンタリーが大好き、音楽が大好きなので、ぜひ観たいと思っていました。
ツイッターなどでも「癒されました」「泣いてしまった」「心が温かくなった」「二回観ました」などなど、たくさん感想が上がっていますね。
そんな素晴らしい映画なのに、なんと途中で(少しだけですけど)眠ってしまったんです! あーあ。
でも。ずーっとやわらかいピアノが流れてるんですよ、バックに。
今、疲れている人は要注意です。たぶんどこかで寝てしまいます。
音楽は人にいろいろなことをしてくれますが、頭を休ませ心を落ち着けて眠らせてくれるのもそのひとつだと思います。
眠ってしまいましたが、心に響く言葉はいくつもありました。
公式サイトにもいくつか集められていますね。
http://www.uplink.co.jp/seymour/aboutseymour.php#seymour-message
私にとって印象的だったのは、子どもの頃に楽譜を見て泣いていたところ、母に「なぜ泣いているの?」と問われて、「曲があまりに美しいから」と答えたという話。
これは、なにも教訓めいたものは含んでいませんが、この話自体が美しい。
こういう感受性を持っているからこそ、素晴らしい演奏家になれたのでしょう。
芸術について
レッスンの場面を見ていて改めて思ったことがあります。これはピアニストのお話ですが、他の楽器にも言えるし、もっと拡げて芸術全般に言えると思います。
それは、芸術とは細部がすべてである、ということ。
細部のためにさまざまな技術を用い、日々鍛錬する。
ピアノは手だけで弾くのではない。身体はもちろん、精神も、人生も、すべてを使う。
これも芸術全般に言えるでしょう。
すべてがそこに表れる。だから人が感動する。
ところで、私にはレッスンのシーンが一番興味深く、レッスンシーンだけのドキュメンタリーでもいいくらいだと思いました。インタビューして話をしてもらわなくても、十分いろんなことが詰まった映画ができたんじゃないでしょうか。
とはいえ、この作品が良くないというわけではありません。単に好みの問題です。
ああ、ピアノ弾けるっていいなあ!
『ジャニス リトル・ガール・ブルー』
初日に観てきました。
ジャニス、好きでしたねー。今でも好きですが。
その存在を知ったのは十代のころでしたが、そのころにはすでに彼女は亡くなっていました。
はみ出し者の歌
当時は”どうにもはみ出している自分”を彼女に重ね合わせている部分もあった思います。
彼女の歌はとにかく心に沁みました。
この映画のタイトルとなっている『リトル・ガール・ブルー』も大好きで、これを聴くと今でもあのころの自分の心情が湧き上がってきます。
Janis Joplin - Little Girl Blue (This is Tom Jones, 1969)
映画の中では、”どのように”ということについてはさほど詳しく触れていませんが、ジャニスもまたはみ出している人だったということは語られています。
けれどもジャニスの背景を知る前から、彼女の歌は私にとってそれ自体で心を打ってくるものでした。
いつだったか、ラジオで『ジャニス物語』みたいなものを、確か二夜とか三夜連続で放送していて、普段ラジオなどまったく聴かない私でしたが、暗い部屋のベッドの中で聴いた覚えがあります。録音までして、繰り返し聞いたものでした。
町山智浩氏がTBSラジオ『たまむすび』の中でこの映画について語っていることを文字起こしされているサイトがありました。二重引用で恐縮ですが、リンクをはらせていただきます。
ここには、ジャニスの歌がなぜ響くのか、についてのひとつの見解が述べられています。
豪快さの影に隠れた”リトル・ガール・ブルー”
先ほど書いたラジオの番組で語られていたことと、この映画で語られていることはほとんど同じで、だから私にとって目新しい部分はありませんでした。本人の映像はほとんどが目にしたことのあるものでしたし。
妹、弟、バンド仲間、過去の恋人…などが登場しますが、私にはやはりちょっと物足りない気がしました。それはたぶん、ジャニスの”リトル・ガール・ブルー”の部分をもっと知りたかったせいかもしれません。それにはジャニスと両親との関係についての情報が少なすぎました。
ジャニスが家族にあてて書いた手紙が、要所要所で読まれます。けれどもそれに対する返信は、あったのかなかったのか、たぶんあったと思いますが、登場しません。(もしかしたら”登場しないこと”自体に意味があったのかも…と、今、思いましたが)
とにかくもう少し深く切り込んで欲しかった、というのが正直なところです。
とはいえ、ジャニスを知らない人にはお勧めの映画ではあります。
知っている人も観て損はないでしょう。
『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』 時は金ではない
製作:ジョー・ロス、スザンヌ・トッド、ジェニファー・トッド、ティム・バートン
キャスト:
• ジョニー・デップ(マッドハッター)
• アン・ハサウェイ(白の女王(ミラーナ))
• ミア・ワシコウスカ(アリス・キングスレー)
• リス・エバンス(ザニック・ハイトップ)
• ヘレナ・ボナム・カーター(赤の女王(イラスベス))
ティム・バートンとトラウマ
最近のディズニー映画のトレンド
『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』
下記の『ミスター・ダイナマイト』の記事に書きましたように、以前やっていたブログの記事を転載します。
以下は、ジェームス・ブラウンの伝記映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』を観たあと、 2015.07.11に書いたものです。
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原題:Get On Up(2014年アメリカ・イギリス/139分)
監督:テイト・テイラー
製作:ブライアン・グレイザー、ミック・ジャガー、テイト・テイラー、ビクトリア・ピアマン
出演:チャドウィック・ボーズマン、ネルサン・エリス、ダン・エイクロイド、ヴィオラ・デイヴィス、オクダヴィア・スペンサーほか
公式サイト:jamesbrown-movie.jp
いわずとしれたファンクの父、JBの伝記映画
飛行機の中で観たのだけれど、改めて映画館でも観て来た。
機内ヴァージョンは結構カットされてる部分があったので、やっぱり観に行ってよかった。
過酷な少年時代、刑務所、ゴスペルからバンドへ、レコード会社との契約、仲間割れ…
典型的と言えば言える、スターの半生を、フラッシュバックのような形で少年時代を織り込みつつ描いている。
歌をくれ、歌を!
主演のボーズマンは、動きもいいけれど(特に歩き方!)何より話し方がいい。
普段はどんな風に話す人なのか見てみたいくらい、映画の中ではJBっぽかった。
この映画を機内で観たときは日本語字幕がなかったので、細かいところがよくわからなかった。
それで二回目はフランス語の吹き替えで観ることにした(英語よりはわかるはずなので)。
でも、もう冒頭のシーンで「いや、ちがうちがう」と、結局英語に戻してしまった。
なんか全然JBじゃないんだもん。
あの「しゃべり」のリズムはフランス語では現せない。日本語でも。
言葉のリズムや旋律が、その言葉の持つ意味よりも重要なことってあるんだよね。
この映画は、吹き替えでは魅力が半減する。
レコード会社の社長がJBの歌を聴き「なんだこれは?!"Please please please"ばっかりじゃないか。歌をくれ歌を!」といい、プロデューサーが「いや、歌じゃないんですよ、聴けばわかります」と返す場面があった。
ここで言う「歌」とは「意味」ということだろう。
大事なのは「意味(歌の持つ意味、あるいは意味のある歌)」じゃない。JBの歌を聴けば、それがわかる、と。
大きく頷くとともに、音楽とは、歌とは何か、ということを考えさせられる場面だった。
俺たちはみんなドラムを叩いてるんだ
この作品のいいところは、やはり音楽を中心に据えているところだ。
いずれDVDになるかもしれないけど、ライブステージの場面は映画館でみるべき。
もちろんボーズマンはJBではないけれど、違和感なくかっこいい。
(機内バージョンではライブ場面がけっこうカットされてた気がする…なんで?)
ファンク好きならきっとワクワクします。
もっとワクワクしたのは"Cold Sweat"のリハーサルの場面。
JBが(っていうかボーズマンが、だけど)口太鼓でリズムを刻むところがもう大好き。
この曲が好きだということもあるけど。
確か同じ場面で、JBがミュージシャンたちに「俺たちはみんなドラムを叩いてるんだ」というようなことを言う。
いやあ、なるほど…そういうことか、と納得しましたね。
(バンドの人たちはあんまり納得してないみたいだったけど。笑)
"Try Me"が現すもの
音楽以外の部分については、例えば過酷な少年時代を描いてはいても、その過酷さの方に焦点をあて過ぎていないし、恋愛や家庭生活などのサイドストーリーも深追いしない。
そしてなにより、JBの内面をことさらに描き出そうとはしていない。(たぶん。もちろん滲み出てはいる)
ボーズマンの演技もそういう線に沿っている。
そこが私は気に入った。
なんていうか…
あまり直接的には描かれていないJBの内面は、観ているあなたたちが想像を巡らせる部分だよ、という演出である気がする。
青年時代以降に少年時代がフラッシュバックするようになっている構成はそれを助けているし、時折JBが直接カメラに向かって語りかけて来るところがあるけれど、それは「JBってこんな風に見えたけど、実際(内実は)どうだったんだろうね?」と監督/演出家が観客に問うているような気もした。
そうやって全編を通してあまり内面を描かないことによって、最後に来る"Try Me"が際立つ。
ここへ来て監督/脚本家は、JBの歌に、そこで歌われている以上の意味を持たせた…
「ゲロンナ」あっての「ゲロッパ」
で、やっぱり「ゲロンナ」あっての「ゲロッパ」だなーと思いました。
才能に惚れ込んで支えてくれる人っていう比喩的な意味もあるけど、実際ボビー・バードの「ゲロンナ」がないと"Get On Up"の良さは半減、というか、この曲は成り立ちません。
そのことを描いている映画です(←ホントか?)。
なんか書いているうちにもう一回観たくなって来た…
でもたぶんもう都内ではやってないよね。残念。
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以上、ちょうど一年くらい前に書いたものの転載でした。
これを観てからドキュメンタリーの方を観たので、ボビー・バードがにこにこしながら証言しているのを見て、なんだか懐かしい人に会ったような気がしてしまいました。
ドキュメンタリーを観て、JBと仕事をしていた人たち、関わった人たちの中で、人としてのJBを好きな人ってあまり多くないんじゃないかという気がしていますが、ボビー・バードだけは「愛憎相半ばする」という心境だったのではないかな…
まあ、わかりませんけれども、やっぱりボビー・バードの「ゲロンナ」は他の人のとは違いますね。
『ミスター・ダイナマイト :ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
渋谷のUPLINKでジェームス・ブラウンのドキュメンタリー『ミスター・ダイナマイト』を観て来ました。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』公式サイト
監督:アレックス・ギブニー
製作:ミック・ジャガー
キャスト:
• ジェームズ・ブラウン
• ミック・ジャガー
• アル・シャープトン
• メイシオ・パーカー
• メルビン・パーカー
原題:Mr. Dynamite: The Rise of James Brown(2014/アメリカ)
UPLINKは小さな映画館ですが、興味深い映画が多いので会員になっています。
サイトはこちら→ UPLINK
これがめちゃめちゃお得!なんです。
年会費1,300円で、通常上映の映画なら一回1,000円で観ることができちゃいます。さらに、一度の観覧につきカードにスタンプが1個押され、5個たまると1回無料になります。
上映スケジュールを見て、観たい作品がニ本あったら会員になることをお勧めします。
と、UPLINKのことはこのくらいにしておいて。
ジェームス・ブラウンの光の部分
この映画の公式サイトを見ると、「JBの波乱に満ちた人生と絶頂期のライブ映像、そして、彼の魂を受け継いだアーティスト・関係者たちのインタビューで綴るソウルフル・ドキュメンタリー」とあります。
観終わってみればこの作品は、この宣伝文句から受ける印象とは少し違って、JBの、主に光の部分に焦点をあてた映画でした。JBが成功してからその活動に翳りが見える前までの期間について、ライブ映像と関係者たちのインタビューで構成されています。
”波乱に満ちた人生”については、生い立ちはこうで少年時代はこうだった、と説明があるだけで、その中身については詳しくは語られません。
16歳の時の逮捕と、バンドメンバーに給料を払わないどころかいろいろとルールを決めて罰金までとる、というようなこと以外は、あまりネガティブな部分は描かれておらず、おそらくそれは意図的にそうされているのだと思います。原題が"The Rise of James Brown"だというのをみても想像がつくことではありますね。
ダンサー必見。笑ってしまうほどファンキー
映画館に置いてあったフライヤーをもらって来たのですが、そこにはJB好きのミュージシャンや評論家、作家などのコメントがたくさん載っています(あとで公式サイトを見ましたが、そこにもありました)。そのなかでイラストレーターの安齋肇さんが、
JBを鑑賞できるシアワセを、神様に感謝します。
すべてのキャパシティーを超えて、笑いが止まらないのだ。
ただ、笑いすぎると天国から撃たれそうだから、注意注意。
と書かれていて、あー笑っちゃうのは私だけじゃなかった(笑)!と…
なぜかわからないのですが、笑ってしまうんですよ、JBのライブ映像を見ていると。
なにが笑いを引き出すのか、説明できません。たぶん、ファンキー過ぎるんですね。
有名な股割りとか片足でくくくくっと動いていくのとか、マイクアクションとかケープショーとか、そういう部分よりもむしろ普通に身体を動かしているときの、その動きがとにかくファンキーです。ジャンルを問わずダンスをやっている人は一度は見た方がいいでしょう。踊るということについて深く考えるきっかけになると思います。
JBと公民権運動
そもそもJBの人となりや人生についてあまり知らない私ではありますが、この映画で初めて知ったのは、JBが公民権運動と関わりがあったと言う点です。とは言っても、ここでもさほど詳しく述べられてはいないので、どのくらい深く関わったのかまではわかりませんでした。
当時JBに限らず、アフリカ系アメリカ人で有名な人物であればみな、多かれ少なかれ関わりはあっただろうと想像します。
(しかし、当時から現在まででどれほどのことが変ったでしょうか。いろいろ変った部分もあるのでしょうが、本質的な部分についてはどうなのでしょうね…と考えてしまいます)
ファンクはどのようにして生まれたか
ところでファンクはどのようにして生まれたか、については…この映画を観てもよくわかりません。それについてのJBの証言がないからです(あったとしても…具体的にはわからなかっただろうと思いますが)。結局のところ新しい音楽というのは、ある優れたミュージシャンのふとした思いつきから生まれるものなのかもしれません。
「JBはなにもわかってない」というような話が出て来ますが、その「なにもわかってない人」からすごいものが生まれちゃったんですね。既存のジャズ、ゴスペル、R&BなどがJBの中で混ざり合い、どういうわけかわからないけれども、その延長線上に違う世界を描き出したのでしょう。
JBがいなければ、誰か他の人がファンクを作り出したでしょうか。
作り出したかもしれないし、出さなかったかもしれない。それはわかりませんが、とにかく私たちはJBを聴き、これこそファンクだ!と思うのです。そしてJBがいなければ、私たちが現在聴いているミュージシャンたちのうちの何人かは、聴くことができなかったかもしれません。影響を受けているミュージシャンはひとりやふたりではないでしょう。
音楽については、当時JBと一緒に仕事をしたミュージシャンたちがいろいろと興味深い証言をしてくれています。個人的にはそのあたりがすごくおもしろく、もっといろいろと聞きたい部分でした。
フィクションとドキュメンタリー
昨年、同じくミック・ジャガーがプロデュースしたJBの伝記映画が公開されました(それも観に行き、以前別のブログにちょっと書いたのですが、あとでこちらに転記するつもりです)。
実を言うと、今回このドキュメンタリーを観ながらついフィクションの方を思い浮かべたりしていました。それで自分の中で意味を補完した部分もあります。だから、もしフィクションの方を観ていなかったら、ドキュメンタリーを観て感じたことも少し違っていたかもしれません。
フィクションの方では影の部分も描かれています。あくまでもフィクションなので全部をその通りに受け取ることはできませんが、こちらも合わせてご覧になることをお勧めします。
できれば大画面で観ていただきたいところですが、DVDも出ています。
ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~ [DVD]
- 出版社/メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
- 発売日: 2016/04/22
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"Try Me"が沁みますよ…
平田オリザ/青年団『ニッポン・サポート・センター』
先日、平田オリザさんの新作『ニッポン・サポート・センター』の初演を観に行って来ました。
オリザさんの作品が好きなので、「期待しかない」状態で吉祥寺シアターへ。
(以下、若干内容に触れています)
”向こう側”を想像せずにはいられない
公式サイトにあるとおり、舞台は「駆け込み寺的」NPOのオフィス。
舞台手前に大テーブルが少し離れて二台。奥には舞台幅ほぼいっぱいの壁とドアが3つに窓2つ。
ここに入れ替わり立ち替わり人がやって来ては出て行く。
この”テーブル二台”スタイルは今年4月に観た無隣館公演の『カガクするココロ』、『北限の猿』と同じでしたが、奥の壁・ドア・窓の部分がこの作品のキモでした。
壁はこちら側と向こう側を分つ。
この壁・ドア・窓は、”向こう側”を観客に想像させる見事な装置になっていました。
想像させる、考えさせる、というのがオリザさんの演劇のカギであり、それを見る観客の楽しみでもあります。まだご覧になっていない方のために詳しくは書けませんが、この作品にはそれがかなり意識的に組み込まれています。
それは観客に対して「想像しろ!」という押し付けがましいものではなく、観客自身が「想像せずにはいられない」、そういう状況が舞台上に”極く自然に”作り出されていました。
この”自然な装置”は演劇にしかできないことのように思えます。”しか”は言い過ぎかもしれませんが、少なくとも演劇が得意とするところだとは言えるでしょう。
「答え」は出さない
ところで、”向こう側”を想像したからと言ってそれがどうだと言うのでしょう。
アフタートークでオリザさんがおっしゃっていました(し、どこかにも書かれていました)が、「答えを出してしまったら、その答えに賛同する人しか観ない」。
作品が開かれているからこそ、観客は想像し、考える。それによって作品がさらに広がり、膨らむ。またそのことによって、観客自身の世界も広がり、膨らんで行く。
”向こう側”を考えることは、巡り巡って”こちら側”を考えることでもあります。
良い作品を見た時、それを何度でも観たいと思ったり、実際に何度も観たりするのは、そこにいつも自分にとって新しい何かがあるからだと思います。
そしてなぜそうなのかと言えば、それは私たち自身が想像したり考えたりするからでしょう。
”こちら側”では
さて、私たちのイマジネーションをかき立てる、舞台上の”向こう側”は置いておいて、”こちら側”にはなにがあるのかというと、これが、ほぼ”その場にいない人”の噂話。雑談。
展開される”ただの日常”に、私たち観客は飽きてしまう…かというとそうではなく、その”普通の”会話を聞き、笑い、登場人物たちの情報を得て行く。
”こちら側”で展開されていること、それはそのまま、おそらく多くの人々の日常風景なのですよね。
普段私たちは”こちら側”にいる。けれどもそれそれが”向こう側”を抱えている。
さて、どうしたらいいのでしょうね…