WILD SIDE CLUB - 映画について -

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『エリック・クラプトン ー12小節の人生ー』ー ギターで世界と向き合う

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監督:リリ・フィニー・ザナック

製作:ジョン・バトセック

出演:エリック・クラプトンB.B.キングジミ・ヘンドリクスジョージ・ハリスン、他

製作年:2017年

製作国:イギリス

 135分

 

“ギターの神様”エリック・クラプトンの激動の人生を辿った音楽ドキュメンタリー。

 

エリック・クラプトンも、ホイットニー・ヒューストンのように依存症に苦しんだ。違っているのは、彼はサバイバーだということだ。サバイバーであるだけでなく、現在もミュージシャンとして現役で活動している。これは彼の人生を本作で一通り観た後では、まったく驚くべきことだと思う。

 

多くの依存症者と同様、彼もまた幼少期に家族の問題があった。それも、もっとも大きな傷となりうる、母親からの遺棄と拒絶である。特に、9歳の時に受けた具体的な拒絶は、彼のその後の人生を決定づけた。その時に「もう誰も信じない」と思った、と作中で本人が語っている。

 

物心がついた頃から、写真の中のエリックは、ある種の“コミュニケーションが難しいタイプの人”の顔つきをしている。笑顔はない(笑っている写真があっても作中に使用していないだけかもしれないが)。

無口で気難しそうに見え、どこか憂いのある顔つきで(心に深い傷があるのだから当たり前だ)ギターが超絶に上手いとなれば、惹かれる女性も多いだろう。音楽活動に没頭しつつも女性遍歴を重ねるようになって行く。

女性遍歴とは、他者が埋めることのできない心の中の欠乏を、他者で埋めようとする不毛な行為だ。これについてはアディクションという意識が本人にも周囲にもあまりなかったかもしれない。ラブ・アディクションはそれだけでは死に直結することがないから、問題として認識されにくいけれども、とても厄介なものである。アルコールと違って全ての人間関係を断つことは不可能だからだ。

 

ジョージ・ハリソンの妻に恋をし「レイラ」を送っていったん振られたあたりから、アルコールに依存するようになって行ったようだ。あれほどのギターセンスと才能があり、それに没頭できる環境があってもなお埋められない穴があり、それをアルコールと女性で埋めようとしたのだ。

アルコールによって音楽活動にも支障が出始め、いよいよ立ち行かなくなって、自らアルコールを断つが、激しい禁断症状に襲われ医療機関に入る。ここから、退院してはスリップ、というのを何度か繰り返したらしい。

 

転機となったのは最愛の息子の死だった。ここでスリップするかしないかが分かれ目だっただろう。持ちこたえることができたから今のクラプトンがいる。

作中クラプトンは「音楽が自分を救った」「ギターで世界と向き合った」と語っている。この場合の「音楽」や「ギター」は「自分自身」と言い換えていいと思う。

 

本作は多くの動画や写真で構成されている。インタビュー場面の映像はほとんどなく、インタビューの声に、内容に合った映像を合わせるスタイルをとっている。つまり監督がクラプトンをどう理解したかがより濃く現れている。

 

エリック・クラプトンは2019年4月に22回目の来日ツアーを控えているそうだ。